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脱サラへの道

 夢はいろいろ有るのです。でも、ここ近年、私の頭から離れないのは、田舎暮らし。どうしても土との生活をしてみたい。晴耕雨読、自給自足、有機野菜の栽培。こんな事が頭から離れないのである。
 やっぱり、田舎で暮らすことを目指そう。と5年計画を考えてみました。別に5年と言う数字に何の意味が有るわけではなく、どこかで区切りをつけないと目的がぼやけてきてしまいそうで、漠然と5年と言う期間が出てきたのです。
 仕事のこと、自分の周りのこと、親のこと実現するためにはいろいろ問題は有ります。でも、歳の事を考えても、絶対に人生の折り返し過ぎている。今まで歩いてきた時間より短いのは決まっている。だったら、自分でやってみたいものへと目標を定めてもいいのではと決めてたのです。
 まだどこで暮らすか何をするかも考えずに、とにかく田舎暮らしを目指す。それが目的です。現実のものとなってきたら、もっと深く考えてみよう。
 漠然と考えていたものが現実となるかどうか、単なる夢と終わるのか、何を考えどうやっていこうかと言うものを自分自身の励みのためにも記録したいと思います。

田舎暮らしひらめき推移表
事の始まり
1999年9月
1999年10月
2000年4月
2000年6月
2000年8月 2000年秋

、癒しの民宿

会員制で資金調達
2001年1月
2001年5月
2001年11月
2001年12月
2002年4月
2002年6月
2002年7月
200年11月
2003年9月
2003年11月

事の始まり

高校の頃から、酪農や農業をやってみたいと思い、就職活動の時は真剣に北海道の酪農に就職しようかとも考えたことがあるのです。しかし、中3の時に産まれ持って腰の骨に不具合が有ることがわかり、仕事として選ぶにはきついことがわかりました。
 しかし、歳を取る毎にのどかな所に住む事へのあこがれが強くなるのです。中学に入るまで長い休みになると母親の実家の農家に行っていたので、多少の田舎暮らしは知っている。それが私の潜在意識の中に有るのだろうか。
 晴耕雨読の生活がしたい。自然回帰を目指す私としては、季節事の生活、太陽とともに生きる生活がしたい。という気持ちが大きくなって、同居人に話すと、賛成してくれました。
 都会育ちで田舎暮らしをしたことのない同居人は本当に田舎暮らしの大変さがわかるのかな。と言う疑問は有るものの、とにかく賛成を得られたので、急がずゆっくりいろいろ考えようと5年計画だ。と99年の秋に思ったのです。

1999年9月
そうだB&Bだ

 

 移住を具体的に考える。 何をして暮らすか。何を職業にするのか。考えることはいろいろあるが、何をどう具体的に考えればいいのか見当もつかない。いろいろと本を買い込んできて読む。
 自給自足の生活をしたい。晴耕雨読の生活。でも、最低限の現金がいる。最低限の生活費っていくらなんだろう。 温泉の有るところで、宿泊施設 をする。ペンションのような素敵な夕食を提供する事は出来ないなぁ。近くにレストランがあればB&B方式の宿泊施設が出来る。最近そんな宿泊施設が増えてきた。宿泊施設での決められた食事をとるのではなく、自分の好きなものを好きなだけ食べるのはいい。
 B&B、ベット&ブレックファーストならば私のも出来る。有機野菜で手作り野菜のサラダに、手作りソーセージ、手作りパン。そして、飲み物。朝食ならばこれで充分。出来そうだ。でも、立地場所にレストランが無ければ夕食はどうなるんだろう。まぁ、とにかく考えがまとまった。図書館などで資料を集める。

1999年10月 そうだパンを習おう

 そうだ、パンを提供するにはパン作りを習うおう。少しでも美味しく、混ざりもののないパンを提供したい。
 何カ所か有るパン教室で、パン以外にもいろいろと教えてくれる場所を選びました。ここの教室は私の考えと一致している。無添加のものを提供したい。安全な食を目指す。うんうん、こんな考えの教室を選んだのも何かの縁かも知れない。

2000年4月何して暮らすか

 

田舎暮らし、田舎移住、田舎に関する本をいろいろ読んでみる。田舎暮らしがはやりなのか、本屋にはその手の雑誌が増えてきた。一つ気に入ったので、年間購読の手続きをした。すると、なんと4冊目にして廃刊。需要が無かったのかなぁ。
 本に紹介されている仕事は、農家や漁業などの紹介が多い。田舎暮らしの大変さを書いてある本もある。生半可な気持ちでは移住は出来ないのか。でも、村は過疎化が進んでるのに、どうして都会の人間を受け入れてくれないのか。
 大金持ちになりたいんじゃない、日々を暮らせればいい。わずかなお金が有ればいい。流行もブランドにも着る物にもあまり興味がない私にはたぶんそんなに現金が無くても暮らしていけると思う。
 自給自足を目指して、今日採れたものを食べる。大根の収穫で大根のフルコース。とか。山羊を飼って、乳を搾る。パンを作って売る。多少の手芸が出来るので、手作りセーターなどを売る。生活の糧をいろいろと考えてみる。
 昔と比べたら通販も充実してきたので、地方で暮らしてもそんなに不自由は無いように気がする。
 しかし、B&Bのペンションをするにも、その建築費はどうするのだ。どのくらい掛かるのだろうか。それは考えるのはあとにしよう。
古民家や使っていない農家を使わせてもらう。購入しなくても借家でもいいんだなぁ。
2000年6月
 夫SOHOに
 同居人が勤め人から足を洗い、フリーとなる。sohoを目指す。

2000年8月
そうだ、癒しの民宿

ペンションじゃなくて民宿か。体験民宿の話を聞いてひらめく。都会暮らしの疲れた人が自分の田舎に帰ってのんびりする。しかし、田舎のない人も多い。そんな人たちに田舎気分を味わってもらったらいいのかな。
 私の周りで働いている会社の人も疲れてるよな。私も含めて。仕事に疲れているときに、温泉と土いじりが出来たらストレスも飛ぶかな。そんな時間を提供できればいいな。
 人間は歳を取ったり疲れたりすると、土が恋しくなると言う。私もそうだ。農家の家で、いろりが有って、夕食は鍋をつっく。チェックインもチェックアウトも自由な時間。土曜の朝に突然土いじりをしたくなったら来てもらえる場所。そんな時間と場所の提供が出来れば。
 朝は自分の家に居るような気分で、自由な時間に起きて、野菜やソーセージとパンを自由に食べてもらう。昨日働いてもらって自分で取った野菜を食べてもらう。これはいい。こんな宿が出来たらいいな。

2000年秋
会員制で資金調達もいいな。        

民宿でも会員制。1口いくらで、野菜を宅配したり、宿泊券を配る。これで設立資金を稼げるか。
 あくまでも、必要最低限の現金のための営業。一見さんお断りではないが、基本的には知り合いに泊まってもらいたい。気ままな時間。束縛されない時間を提供したい。ここに泊まって都会の疲れを取り去ってまた都会に帰って欲しい。そして、私にも都会の空気を送り込んで欲しい。気軽に来てもらえるため、首都圏から2時間くらいでたどり着けるととこがいい。

2001年1月
今年は場所探し     

今年は具体的に場所の物色をせねば。同級生に八ヶ岳の麓に移住したものがいるという。山が好きで八ヶ岳のそばに住みたい。それだけで行ったらしい。アパートに暮らして、八ヶ岳のガイドをしているという。
 山か海か。雪はない方がいいかな。私は里山がいいなぁ。里山というえば、TOKIOの村のテレビ、いろいろな人が見ているんだ。私もファン。あんな生活がしたいのよね。あれを見ている人たちは、自分たちがあの生活をしたいと思っているんだろうか。それと、あんな生活があるんだ。と思っているのか。

2001年5月
場所はどこに

 山梨、群馬、茨城、栃木、静岡。このあたりがねらい。富士山が見えるところに住むのも私の夢。でも、神奈川もいいかも。産まれ育ったところに帰りたいというのは、鮭じゃなくても思うのか。三浦半島を完全に離れてから2年。たまに帰ると良さがわかる。

2001年11月
パン講師資格取得

 パン教室の卒業式。免許はもらったものの、人に教えるにはもう一枚の資格がいる。無線の免許にたとえれば、従免は取れたが、局免が無いので、1人では出来ないのである。
 パン教室か。これも生活の糧になるなぁ。今住んでいるマンションは売らずに、って、こんな狭いマンションが売れるとは思っていないので、何か使えないかと考えていたが、人に貸すのではなく、ここで週何度か教室を開くのもいいね。三浦半島に住めばそれも可能。

2001年12月
場所は三浦半島?

世田谷のボロ市に行く。田舎暮らしに会いそうな物が沢山売られている。今は、取っておく場所もないので見るだけ。藍染めのはんてんも、座布団もいいね。鉄火鉢や七輪。なんかいいねぇ。
結局今年は、場所探しに出かけなかった。でも、気持ちは三浦半島に固まってきたかな。

2002年4月
間違っていない。

 私の考え方向性が有っているのかどうかの不安はある。それで、カード占いをしているローズマリーさんを新橋まで訪ねてみた。
 考え方も方向性もいい、それいいね。achaさんに合っている。と言われ、一安心。ただ、道のりは短くないと。しかし、その間に思いついたことはどんどんすべき、すべてがその夢につながるはずだからと。そして、ネットワーク作りに励んでくださいと。
 これでますます素朴屋民宿acha-houseの構想がはっきりしてきた。acha-houseって、時同じくして2人の人が名乗ってくれました。ムネオハウスみたいだなぁ。と思ったけど、なかなかいいかも知れない。マリーさん、MAKIちゃんありがとう。
2002年6月
会社退社  
 20年8ヶ月働いた会社を、会社の早期退職募集により退社しました。不思議なほどなんの未練も有りません。会社で机にへばりついてやっていた仕事は私でなくても出来ること。私には他にやりたいことが有る。私にしかできないことがある。と思っていたからだろうか。異動したときの方が元の職場に未練がありました。
 2週間では引継が終わらず、不本意ながら7月はまだ通勤しています。
 さて、ここで仕切直して、ここから5年後の開業を目指します。99年に立てた5年後というのは、04年に何かを始めることだったので、ここから5年は少し道のりが短くなったと言うことでしょうか。さぁて、何の修行から始めるかな。
2002年7月
パン認定講師となる 
 今日は秋に取得したパン講師の講習会に出て認定講師となりました。これで開業への道は出来ました。要するに無線の局免です。しかし、まだ1人で開局するには申請が必要です。
 まぁ、とにかくこれで、本校では仕事が出来るんですね。需要が有れば。
2002年11月
食・生活アドバイザー

文部科学省認定の「食・生活アドバイザー」2級に合格。
今までの食に関する勉強の総決算として、受験してみました。
新たに食品表示法なども勉強できて、なかなか為になりました。

2003年9月
 研ぎ師になる

 切れない包丁で料理をすると栄養分が20%失しなられると言う。切れる包丁は料理を楽しくする。切れない包丁を使うとイライラする。 昔はどこの家でもお父さんが包丁研ぎの担当だった。いつから研がなくなったのだろう。これも日本の伝統芸。
  私がそれを伝承したい。切れ味のいい包丁を知ってもらいたい。と考えて、親方に付いて修行しました。
  厳しく辛い修行を経て、「研ぎ師」の称号をもらいました。
これが目標ではなく、あくまでもワンステップ。民宿にも畑にも刃物は必要。そしてこの技術で自分の経費は稼がないと。

2003年11月
独立開業
 いよいよ、独り立ち。まだまだ修行の毎日。職人は日々努力だ。
さて、何からやろうか。
2003年11月
食生活塾受講。

 幕内秀夫氏の研究所が主催する「21世紀・食生活塾」の第3期を受講した。4月から月1で8ケ月。毎回、食や健康を考えている講師の講座は目から鱗が落ちたり、再確認したりと中身の濃いものであり、昨年取得した食生活アドバイザーの勉強の時にもやもやとしていた疑問が消えてました。そして、いかに世の中の人が、嘘の常識に踊らされているか。も再確認しました。嘘も大勢で言えば本当の事になってしまうならば、本当の事を少人数で言ったら嘘になる事もある。恐いです。
  今まで知らなかったホリスッティックの世界もかいま見まいした。知らない世界を知る事で私の興味心も湧いてきます。知りたい事が増えました。
  老人の食事からアトピーやカウンセリングまで幅広く勉強した事は、私のこれからの人生に役立つ事は間違いないでしょう。

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