温泉分析書は浴室も含め掲示はありませんでしたが、宿の方に頼むと「鬼石町誌」内に掲載されている温泉データを見ることができます。温泉分析書の原本は現在のご主人の親父さんが持っていたそうですが、亡くなられてからは行方不明となってしまったそうです。 昭和59(1984)年10月1日発行の「鬼石町誌」内の三波石温泉のデータは以下の通りです。
(引用開始) 三波石温泉(鬼石町譲原今里) 旅館は一軒で、昭和三十九年より利用されはじめた。本泉は無色透明(鉄サビ様の沈殿がある)で、わずかに渋味がある。水素イオン濃度は6.95で、泉温は、摂氏で気温24・5度の時、水温23.0度である。 本泉1L中に含有する成分のmg量は、次の通りである。
Ca=11.28 Mg=10.84 鉄=11.34 Al=5.89 硫酸=58.25 ヒドロ炭酸=63.93 炭酸水素Na=88.02 遊離炭酸=42.29 Mn=0.21 Cl=91.17 合計=383.22
次の諸病等に効果があるという。 一、胃腸病 一、神経痛、リューマチ(リョーマチ) 一、疲労回復、美容効果等
なお、現在の湧出地よりも規模の大きい湧出地が、新しく発見されたとのことである。 (引用終了)
ちなみに、泉質名については上記リンクの「全国温泉ガイド」では「二酸化炭素泉」、美坂さんの「いで湯行脚三千湯」では「メタ珪酸泉」22℃となっています。なお、宿の裏手の車地蔵尊につきましても鬼石町誌内に記載がありました。以下の通りです。
(引用開始) ・譲原今里の「車地蔵尊」この地には昔から車地蔵という呼 名が残っていたという。三波石温泉の館主がある夜、車地蔵の 夢のお告げを受けた。不思議に思い、早速発掘に取りかかり、 六ヶ月後に車地蔵尊が宝侠(キョウ)印塔と共に出土し陽の目を見るにい たった。 一石より嘉慶ニ年(1388)十月二十二日の文字が判読さ れ、約六百年前のものと判明した。館主は祠を建て交通安全の 仏として、車地蔵尊再現供養を取り行った。
以上
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